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Showing posts from February, 2024

私の底力

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 私の底力のエピソードは多分高校生の四年生の時だと思います。コロナのせいで、三月に家で学校をして、高校の四年生ならではの経験がありませんでした。すごく楽しみにしていたことはミュージカルでしたが、公演の1週間前、ロックダウンが起きたんです。どうしてこのようなことが起きたかという気持ちがたくさんあって、最初にとても悲しかったです。 確かに、ロックダウンは大変な時でしたが、結局、好きな時の一つになりました。ちょっと変わった考えかもしれませんが、その時、自分の独学スキルがレベルアップできたと思います。四年生の始まり、本気の日本語の勉強が始まりましたが、ロックダウンのきっかけで、勉強の時間が増えました。日本語の勉強をもっと興味を持つようになっていて、楽しいことになりました。日本語の勉強とともに、もっと着物に興味を持つようになっていて、たくさん着物についての情報を調べていました。 そして、私の他の趣味、本を読むことと絵を描くことをする時間が増えて、楽しくできて嬉しかったです。高校のことでいつも忙しかったので、やっと一日中絵を描くチャンスがあって嬉しかったです。このきっかけで、絵を描く独学が強くなって、もっと勉強できるようになりました。 もっと照明、構図、ストーリーテリングを練習しました。その時の絵です。 そして、結局感謝していたことは、大学の前に、両親と猫たちといい時間を過ごすことができました。お母さんとよく散歩したり、自然で座ってリラックスできたりしました。特に、三歳からずっといた猫リリちゃんと過ごすことができて感謝しています。一年生の秋学期の時ななくなったので、最初に最悪だと思ったロクダウンは、好きなことができて、好きな人と猫と過ごす時間になって、結局感謝の気持ちがたくさんあります。 ロックダウンの経験を振り返って、ほとんどいい思い出があると思います。大学の前に自分の家で家族と猫たちと過ごして、好きなことばかりできたので、幸せな時になりました。確かに、たくさん残念なことがありましたが、もしロックダウンがなかったら、独学が好きだということを気づかなかったかもしれません。

世代間ギャップ

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ジェネレーション・ギャップはとても面白いことだと思います。私にとって、両親は私と同じ年の人と違って、もっと年上かもしれません。1961年に生まれて、「baby boomer」の後半に含めっています。 言葉遣いは違うと思います。母はよく「ことわざ」を使っていて、確かにまだ使っていることわざを言いますが、時々現代にあまり聞かれないことわざを使って、私にも分かりません。 例えば、「If it were a snake, it would have bit you」、「A stitch in time saves nine」、「A bird in the hand is worth two in the bush」など使っていて、時々全然意味が分かりません。 でも、母の影響で、今使っていないことわざを使うようになるので、「the apple doesn't fall too far from the tree」ですね! そして、大学の経験も本当に違います。特に、父の経験です。もっと緩い時代かもしれません。それはいいことか悪いことか、事態次第だと思います。面白い話をおしえてくれる時、急に、「どうして問題を起こさなかった?」「よくそれで退学にならなかったね。」と思います。そんなに厳しくない時代らしいと思って、もし今そのようなことをしたら、強く検索されて、警察に追われることになるでしょう。例えば、私の姉たち幼稚園に連れて行き方は、バイクの後ろ席でした。今だったら、レポートされるかもしれません。確かに、多分私の初めてバイクに乗った時は小学校の一年生の時かもしれません。 今、オンラインでこのような現象を示す言葉が出てきました。「Dad Lore, 父の伝説」です。父の信じられない話です。 確かに、ジェネレーション・ギャップは時々イライラさせることなんですが、たくさん面白いことが見つかることができると思います。

夢のインタビュー

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私はインタビュー番組のホストなら、インタビューしたい3人のゲストは、山下達郎と、竹内まりやと、松田聖子です。3人は日本の「city pop」や「ニューミュージック」という音楽の歌手です。今、まだ音楽を作っていますが、80年代にとても有名な人でした。私は日本の80年代と昭和時代の音楽が本当に大好きで、山下さん、竹内さん、松田さんは私の好きな歌手の3人です。3人は違うスタイルがあるので、面白い話になると思います。 1。山下達郎はジャズやポップスな音楽を作って、プロデゥースの活躍もしていました。今もまだコンサートをしたり、音楽を作ったりします。曲は本当にいいメロディーがあったり、元気な夏らしい音が入ったりします。City popの歌手の中に、多分山下達郎は私の好きな歌手だと思います。よく言われることは「悪い曲は一つもないわ」ということです。オンラインで曲は見つけにくいと思いますが、探して聞くのは価値があると思います。そして、音楽はこんなに好きなのに見つけにくいからこそ、山下達郎のレコードを収集しています。私にとってとても大切なものです。 聞きたいことがたくさんありますが、一つは「どのように曲のメロディーや歌詞を思いつかれますか」という質問です。そして、「まりやさんとの初めて会った時を教えられてもよろしいでしょうか」という質問です。達郎さんとまりやさんは本当にcity popの「power couple」で、ラブ・ストーリーを聞きたいと思います。最後に、「アメリカにツアーをする予定がありますか」と聞きたいです。達郎さんをライブで本当に見たいからです。 2。竹内まりやは山下さんと似ていて、山下さんは時々まりやさんの曲をプロデュースすることもありました。アメリカで、まりやさんの一番有名な曲は「Plastic Love」で、city popの紹介と思われている人だと思います。達郎さんと結婚しています。多くの人のように、「plastic love」は私のcity popの紹介でした。なので、まりやさんは私にとって特別です。素敵な声があって、曲を聞くたびに、嬉しくなって癒されます。 本当に聞きたい質問は「西洋の国で、plastic loveは大人気になったことは、どう思われますか。」ということです。次、「音楽の中に、一番印象が残っているインスピレーションはなんですか」と聞きたいです。...

私の方言の経験

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 私はアメリカの中西部にずっと住んでいて、方言がないと思いました。でも、実際にそれは違います。12歳のころ、ちょっと残念な経験のせいで方言があったと気づきました。 夏休み、よくサマーキャンプに行ったものです。あの夏休みに、行ったサマーキャンプはアメリカの北の方で、カナダ人も参加しました。友達と一緒に行って、同じキャビンに泊まりました。 そのキャビンの中に、ほとんどカナダ人でした。アメリカと違う国から来た人と会うことができて楽しかったと思って、大体みんあは優しかったです。でも、一人の女の子意外でした。もっと年上で、12歳の私にとって怖い人でした。 私と友達も同じ街に住んでいて、シカゴに近いのでシカゴの方言の影響があります。シカゴと似ている方言で話していました。実は、大学の前にシカゴが方言があって私は話していたことは知らなかったんです。とにかく、私の住んでいる場所の「あっ」の発音は鼻からいうように聞かれて、北とカナダのもっと長い「あー」と違いました。その怖い女の子によく私と友達はからかわれました。「bag, rack,catと言ってよ!」など言って、私たちの発音を笑われました。私より友達の方が強くて、逆に友達はカナダ人の女の子のアクセントをからかったやりとりしました。でも、あの時自分自信はすごく悪かったし、からかわないように何も言いませんでした。もし私が直接何かを言ってと言われたら、理解できないふりをして、意地悪女の子の言い方を真似するだけでした。この方法は私のことを助かりませんでした。 今考えると面白いと思いますが、その時に「私は本当に方言があるの」と思い始めました。もっと成長した後大学に入ってから、友達に「ちょっとアクセントがあると思う」と言われて、私面白かったと思います。恥があるということじゃないですが、どこに行っても違う話し方があると初めて気づいて、もし「私は方言がない」と思ったら、たぶん少しでもあると思います。 それは私の方言の経験の初めてでした。