生きる喜びの瞬間
私にとって、「生きる喜び」と思ったら、色々なことを考えます。「このために、生きていたんだ」ということを感じた時も多いと思って、感謝しています。 友達や、家族や、私にとって大切な人たちなど一緒に過ごす時間は「生きる喜び」という気持ちになります。友達や家族や大切な人たちは、私にとって大人生で切なものの一つです。でも、子供の時、悪い友情に傷ついた経験がたくさんあります。そのせいで、今も「この人は私のことが本当に好きなのか、それとも我慢しているだけなのか。」という気持ちをよく悩んでいます。でも、特に大学で、私の友達に本当になりたいと思っている人たちに出会って、前の悩みを忘れています。前にいじめないように、本当の私や自分の興味や趣味を見せるのはできないほどいやでしたが、自分に似た人たちを見つけて、怖がらないで、その人たちに自然な私を見せるようになりました。その人たちと一緒に過ごす時間は心地よくて楽しいと思うので、感謝していて、「生きる喜び」をもらいます。確かに、その気持ちをまだ戦っていますが、私のそばにいい人たちがいるのをわかって、その気持ちはだんだん消えてくるかもしれません。 そして、「このために、生きていたんだ」という気持ちもあります。それは、よく好きなことをしている時に感じます。描いた絵を完成する瞬間に、その満足気持ちと達成感は最高だと思います。そして、前のように、好きな人と過ごした後、元気になって、嬉しい気持ちがたくさんあります。よくなかったでもよかったでも、本を読んでしまった満足の気持ちが好きです。確かに、大きい旅行に行ったり、留学したりした経験も「このために、生きていたんだ」という気持ちがたくさんあります。今年の夏休みに日本にいる間、よく「毎日は楽しい日」だと言っていました。でも、大きい経験とシンプルな日常生活の経験は、両方楽しんで、その経験通して、幸せな生活を見つけました。 私の人生で、たくさん感謝の気持ちがある部分があります。どんなことが起こっても、 どんな小さなことでも、生きる喜びを見つけて、生活を楽しむつもりです。